2020年06月04日

やっぱり、薬は富山だったのか…?

新潟市の鳥屋野潟の湖畔に、
清五郎地区と言う名の場所があります。
清五郎地区は、8人の農民により開墾されたエリアで、
その中の1人に清五郎さんはいましたひらめき

ある日、その清五郎さんが病に倒れてしまい、
富山に薬を求めて、看病したらしいですが、
ついに帰らぬ人になってしまったそうですあせあせ(飛び散る汗)
皆は、夢半ばにして世を去った友を偲び、
そのエリアを清五郎と名付けたそうです。

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この話を受け、富山の置き薬の経営者としては、
清五郎さんの開墾や街への情熱ぴかぴか(新しい)も尊いですが、
富山に薬を求めてと言う文面に、
どうしても目目がいってしまいます。

しかも清五郎さんが開墾をしていたのは、1640年(寛永17年)exclamation
前田正甫公の江戸城での腹痛事件は、1690年(元禄3年)exclamation
富山の置き薬が、全国的にメジャーになるまで、半世紀前の話です。
新潟の鳥屋野潟から富山までは、片道250Km、往復500Kmexclamation
その長い距離を乗り越えてでも、富山に薬を求めて走ったと考えますと、
当時から、富山に薬の文化・知名度ー(長音記号2)があったのかな?
と思ってしまいます。
実際の所はよく解りませんが、歴史を感じる話しではないでしょうかわーい(嬉しい顔)

posted by iwata at 11:31 | 雑談